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死兆星備忘録

ペテロの葬列

今更だけども、Amazonプライムで「ペテロの葬列」を見ている。
小泉孝太郎氏に好感は持っているが、この棒演技が故意になのか、どうなのかは分からない。だけどもこのストーリーには、この主人公にはハマっているなぁ。

彼のことは置いておいて。

なんだよこれは。
全く。いろいろ片がついてすっきりしたかと思えば、最後は妻の不貞発覚かよ。
しかしなんだろう。いい人であっても、やはり許せないものかね。
所詮は作り物のストーリーの中での話だけども、現実がそうであることが多いのでこうして本になりテレビドラマ化もされるのだろう。

男が日々の誘惑に揺れて踏み止まっているのは、世の男皆が非常に共感できるはずだ。
だが女よ。君たちもそうなんだろうが。それは分かるけども。
許されないのだ。許せないのだ。子供がいたとしても、だ。

最近の世は、女性が奔放だ。
男女平等という名の下に。

男女は違う生き物だ。平等ではあるが、同じではないのだ。
だから理解し、受容し合う必要がある。

妻を持ち、長男と長女を持った今だから、よく分かる。
違うんだよなぁ。根本的に。生物的に。

だから、腹を立てても無意味だ。
腹を立てないことはできない。だってそれは生理的なものだから。

しかし女性とは魅力的なものなのである。
時に甘く、時に醜く。

妻と出会った頃は、同じ価値観や似たような思考に感動を覚えたものだ。
しかし、似ているように見えたそれは、その「点」だけなのである。

そこに至る過程や、もっと広く言えば育った環境が違うのだ。
たまたま、その点が合致しただけ。ルートが違うけど山頂で出会ったようなものだ。

確かにそれは運命とも言えるのかもしれない。
でも錯覚してはいけないのだ。「同じである」と。

我々は相容れないのだ。許せないものも、違う。
だから、男は女の不貞を許せない。

現代だからというのは全くもって関係ないのだ。
今よりも本能的に生きたであろう歴史を学べばそれも読み取れてくる。

最後になるが、相容れないというのは、一緒にいることが出来ないというわけではない。
違う生き物であるということを理解し、それを受け入れることさえ出来れば、時に衝突があるとしても、愛し続けることが出来るだろう。

僕は結婚をしても孤独を感じる。
いや、孤独であることを知らねばならないのだ。

なぜなら、彼女は他人で、もちろん遺伝子も、後天的な人格形成に至る環境も、全くもって違うのだから。

それでも僕はひとり山を登るのだ。
美しい山頂で、彼女に会うために。